木島 章 (きじま あきら)
<詩作品>
点描画
あなたはマゼンタ、私はビリジュアン
キレイな絵を描きたければ混ぜてはいけないのね
打ち捨てられて久しい僕の画材を
押入れの奥から引っ張り出し
干からびた絵具を並べながら
身重の妻が言った
わたしも絵が描きたくなりました
ひとはなぜ、絵を描くのだろう
〈人生の余白をうめたいから〉
〈愛するものと生きた物語を残すため〉
時間は容赦なく過ぎ
画家は創意をもてあましていく
世の中は、未完成な絵画であふれている
どうして家族は
いつのまにか補色の関係になってしまうのでしょう
絵具をパレットに絞り出しながら妻はつぶやく
補い合う色とはうまく言ったもので
近くでも、遠くでもなく
互いの距離をはかりながら
照らし合う生き方
寄り添いながらも依存し合わない心地よい緊張
そうしてえられる均衡こそが
絵を完成する条件になるのかもしれない
妻の声に、諦めと安らぎが入り混じっていたように聞こえた
もし画家に絵を描きつづける理由があるなら
それは、自分たちの色彩を見つけるためではないか
その色でしかとらえることのできない物語が
人生には確かにある
自分の色で世界を染め上げるのが、画家なのだ
だから、妻と僕は
けっしてキレイな絵を描くつもりはないけれど
それぞれの色を
直接、たんねんに画布に置いていく
近すぎても離れすぎてもいけない
照応する位置を試行錯誤しながら
そのうち、二人の色に新たな色も加わって
ほどよく網膜で混ざりあい
見る人の心で結像しながら
僕たちが思い描く世界が現れる
そうなることを夢見て
いつ完成するかは知らないけれど
描きつづけるのだ
家族という点描画を
リズム
また妻の歯ぎしりがはじまった
キュッ、キュッと
規則正しい音律が、僕の夢とうつつに響く
寝顔はあくまでも穏やかに
上下の顎を擦りながら漏らす寝息は
朝が開くまでのわずかな時間の
眠りの深さを測っている
しかし、歯ぎしりの原因は
過度のストレスによると誰かが言っていた
とすると、この軽快なリズムも妻のこころの軋みで
その通奏低音を奏でているのは
家計の厳しさ、仕事と家事の両立
それともまだ手のかかる子どもたちの将来
いやいや、やっぱりふがいない夫つまり僕との行く末…
そんなことを考えながら、ふとまどろんだ隙
妻は布団にぬくもりだけを残して
せわしく台所で立ち働き
「おはよう」と僕を出迎えてくれる
その笑顔の裏で
顎関節に重たい疲れを溜め込んでいるのだろうか…
夢だって
いつまでも安らかに身をゆだねたいと思う時があれば
呻吟しながら突然の覚醒に救われる場合もある
でもどんな夢も
いつでも深い闇を照らす一条の光明にかわりはない
なぜなら夢は見る者誰にでも
等しく朝を連れてくるのだから
夢がこころの海に浮かぶ小舟なら
歯ぎしりは
その夢をしっかりつなぎとめようとするあまり
錨がもらす警鐘みたいなもの
だから、暁を待つ闇がいちばん濃くなる時間
妻の歯ぎしりを聞きながら僕は
あなたの悲しみにも喜びにも
そのどちらにもぴったりと寄り添い
夢の舳先からあなたの眠りの奥深くまで沈み込み
ただひたすら、こころの底にしがみつく錨になりたい
と願ったとき、僕は今日も目を覚ます
朝はもう、妻が抜け出した後の布団に陽だまりを作っていた